明るい宴席を遠くから眺めているだけで、匂いまでこちらに伝わってきそうだった。
数千年ぶりの喉越しに沸き立つ大人たちの姿は新鮮で、そして予想外でもある。
「君は行かなくて良いのか」
答えは言わずもながな、である。
ぼんやり暗がりに佇んでるだけの女の横に突っ立ってる司も、案外物好きの部類なのかと疑ってしまう。彼こそああいう席に行けば喋らなくたって人気者になれるだろうに……だから遠慮してるのか。
「久しぶりに見たんだ。お酒で笑ってる人」
みんなすごく楽しそうだ。あの光景を良いものだと素直に思える。自分がそこにいなくたって全然構わない。
「私が小さい頃だけどさ、よく父が家に仕事仲間連れて来てああいうことしてたんだよね」
当時、襖の隙間から見る父の背中は頼もしくそして満たされたものだったと今なら分かる。
「……まぁ、昔の話だよ」
いつからかその背中はどんどん丸くなり、襖の向こうに一人籠るようになった。無遠慮に開けようものなら空の瓶が飛んで来る。どうしてこうなっただなんて責めるつもりも、今となってはもうありはしない。
「楽しそうだけど私は飲めないなぁ。たぶん、一生」
別に飲み物が悪いんじゃない。でも、自分がみんなと一緒にあの中でまともに笑っていられる自信がまるでなかった。もしあの時の父と同じようになってしまったら?そう考えると、どうしても足がすくんでしまうのだ。
「てか司が喋んないから変なことばっか言っちゃったじゃん」
勝手にベラベラと喋っていたのは私だ。居たたまれなさを彼のせいにしてしまった。明日までには忘れてもらえるとありがたい。
もう船内に戻って休んでしまおう。そう思ったのに、私はその場から半歩も動けなかった。司に手首を掴まれていたからだ。
司は体の向きを変えると、私の視界をその体躯で遮った。
目の前に立たれているだけなのに、さっきまで感じていた灯りも音も匂いも全て消えて、さっきまでの光景が夢だったような気さえしてくる。
「あの……うわっ」
呼びかけようとすると、手で口を覆われる。手が大きすぎて顔全部が隠れてしまいそうだ。
首だけ後ろを振り返った彼が、何か喋っている。やっぱり呼ばれているみたいだ。司が放っておかれるはずもない。
司を呼びに来た人が私に気付いたかは分からなかった。私からはその人の姿かたちも何一つ見えなかったのだから。
ただはっきりしてるのは、司の目に映る自分がどうしようもなく頼りない顔をしているということだけだ。
「ほんとに良いの?行かなくて」
口を覆っていた手がゆっくりと離れたのと同時に、司がこの場から去るつもりがないのを悟った。
掴まれていた手首が一度解放されて、再び手の甲の上から握り直される。
「名前。どんなになっても、君は君だ。他の誰とも違う。それから……溺れる心配をする必要も、もうない」
「つかさ、」
ああもうどうしてこの人は。
どうしてこの人は、全て話したわけでもないのに私の欲しい言葉が分かってしまうんだろう。
司がそう言ってくれるのなら、司がこの手をずっと握っていてくれているのなら、絶対に大丈夫。そう信じきれてしまうほどに彼の手は頼もしく、そして誰よりも優しいのだった。
2021.7.1
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